

いろいろな人がいろいろなこと言ってますから。
そんな人のために、バブル世代の元プログラマーが
自ら体験をもとにお話しします。
基本的にはだれでもなれると思います。
学歴、性別、年齢、理系・文系、関係ないと思います。
それでも、自分の経験からすると、プログラマーに向いている人、
向いていない人ってやっぱりあると思います。
プログラマーってどうやってなるの、どんな人が向いているのというと、
- ラクをするために苦労するのが苦にならない人
- すぐ結果を見たい人
- コツコツ積み上げるのが好きな人
と個人的に思います。
なんでそう思うのかを自分の体験談をもとに書いてみようと思います。

年齢はもうすぐ還暦のほぼおじいちゃんです。
大学は文系で卒業後にプログラマーとして5年間、
そのあとシステム・エンジニアとして10年間、システム開発に携わってきました。
プログラマーとしての期間、短いですね。
でも生涯現役プログラマーをつらぬくつもりでいます。
プログラムとの出会い、5秒で答えがほしい
自分がプログラムと出会ったのは、就職前にバイトしていた測量です。
測量って、ある点とある点の距離を測るわけですが、
測った角度と距離をもとに、三角関数で距離を求めることが多いんです。
測量技師さんたちが電卓で3分くらいかけて計算しているのを見て、
毎回使う式は同じなのだから、
勝手に計算してくれて、すぐに結果が出てくるとうれしいよな
と考えたわけです。
当時はノートパソコン、スマホはおろか、携帯電話もなかった時代です。
それで、ポケットコンピューター(通称「ポケコン」)という携帯サイズの
コンピューター買ってプログラムを組んでみました。


Basicという初心者向けの簡単なプログラム言語を使ってプログラムします。
初めて尽くしでしたが、何とか目的のプログラム作りました。
結果、距離の計算は5秒で終わり。社員の人にも喜んでもらいました。
これが病みつきになって、さっそくパソコンと本を買い込んで、
C言語とかPascalとかを独学で勉強しました。
今にして思うと、独学はお金がかからない反面、
クセが付くと直すのに苦労する面もあるように思います。
就職、そしてプログラマーとして5年間
さて、いよいよ就職です。
文系で法律を学んでいたのですが、そっちの道に進む気はゼロ、
迷わずプログラマーの道を選びました。
最初の会社は地獄
自分が就職した当時は、プログラマーの求人が多くて、
まず仕事にあぶれるということはなかったですね。


汎用機なんて言っても馴染みのない人が多いと思いますが、スパコンみたいなやつです。
あの冷蔵庫を大きくしたような箱がぼんぼんっと並んでいるやつですね。
使っていた言語はFORTLAN(フォートラン)とCOBOL(コボル)、それにAssembler(アセンブラー)です。
基本給は20万ちょっとだったと思います。
FORTLANとか、初めて触れる言語だったのですが、
自分のパソコン使って勉強していたのが幸いして、簡単に理解できました。
言語が何であってもプログラムって覚えると、土地勘みたいなものができてしまうんですね。
基本給は20万円ちょっとでしたが、実際には倍近い給料をもらってました。
そりゃそうです。残業時間がハンパでなかったですから。
最盛期(?)になると、月単位で会社に泊まり込みです。
仕事は楽しかったのですが、これじゃ死ぬと思い3年で転職しました。
今じゃ考えられないけど、バブル真っ盛りのときは、こんな働き方してたんですよ。
最初の会社でいまの自分の八割くらいができあがった
今にして思うと、この怒涛の三年間のうちに自分のプログラマーとしての力量ができあがった気がします。
最初の会社で学んだことが多いので、まとめて説明します。
先輩たちの作ったプログラム見ながら、いろいろ学びましたね。
ほかの人のいいところはどんどん取り入れよう、そういう姿勢が大事だと思います。
それともう一つ、他の人のプログラムを見ると大きなメリットがありますね。
それは、もっとすっきりした書き方があるんだという気づきになることも多いです。
プログラムを組んだ後も大変です。
思ったとおりに動いてくれない。
いわゆるバグ取りってやつです。
自分自身と根気よく勝負している感じです。
次の会社はラクだった、でもやりがいが...


今までは汎用機でしたが、今度はパソコンが相手です。
給料も少し上がり、30万円もらってました。
今度はヒラではなく、一応、役職がつきました。まあ4人のこじんまりとしたチームの長で、自分もいち担当者みたいなもんですから、ほぼヒラ社員なんですけど。
ここで衝撃的だったのは、使っている言語がBasicだったということです。
いや、業務レベルでBasicってあり得ませんから。
今はだいぶ賢くなったようですが、当時のBasicなんてシステム屋から言わせれば

という感じです。
業務レベルだと当時はC言語が主流です。
仕事は残業がなくてラクだったんですけど、
どこかピントがずれたような会社だったので、
ばかばかしくなって一年半でやめちゃいました。
プログラマーとしての職歴はこれが最後です。
プログラマー卒業?システム・エンジニア10年の道のり
システム・エンジニアを10年


となるはずだったんですが、どちらかというとお客さんのところに企画書持って行って説明、そこで話した内容を大雑把な設計にして、後の工程に流すとか、
お客さんのところに出向いてヒアリング、システムの分析、問題点の洗い出しみたいなコンサルみたいなこともやってました。
給料はうろ覚えですが、30万円台後半だったと思います。
本当はプログラマー志向だったんですが、SEになってよ、
と会社のたっての願いに折れてSEになりました。
どうもなり手が少なくて会社の事情で無理やりやらされている感もありましたが、
本人はわりと好きで居心地がいいので10年間、居座っちゃいました。
イントラネットでWebプリを作ってみた!


たとえば、お客さんの担当部署とか担当者の連絡先とかの情報ですね。
システムのユーザーはブラウザーを使うのが特徴です。
ブラウザーだとそれ用のアプリを入れる必要がないんで、ユーザーにとっては便利です。
会社の中で情報共有の機運が高まり、イントラネット作ろうよ、ということになりました。
本格的なWebサービスの開発に巻き込まれることになりました。
JavaScriptとかもがんがん書きましたが、何といっても、
生涯の友となるPerl(パール)との出会いが大きい。
Perlはいまだに愛用しています。
Perlの何がうれしいかって、プログラマーがこんな機能があったらうれしいな、
という機能がてんこ盛りです。かゆいところに手が届きまくります。
そんなこんなで10年間勤めましたが、おうちの事情で転職して
全然畑違いの仕事に就いています。
今にして思うと、会社側から、管理者としての道を行くのか、
技術屋としてやっていくのか聞かれていたんだと思います。
だいたい30代後半くらいから枝分かれしていくんでしょうね。
自分みたいに技術屋の方が向いている人間は、
ことあるごとに、いまだにプログラム組んでますからね。
そういう意味ではプログラマーに年齢は関係ないんじゃないかと思います。
別の業界へ、でも気持ちは現役プログラマー


大人の事情ってやつです。
今度の仕事はまったく別の畑の仕事です。翻訳やってます。
技術分野の翻訳ですね。
でも、どんな仕事でも一緒、機械的な仕事も発生するので、
そういうのはプログラムにやらせるようにしています。
いちおう体が動かくなくなるまで、この仕事続けているつもりなので、
生涯現役プログラマーであり続けるかもしれません。
さいごに

プログラムに年齢、性別、学歴、関係ないと思います。
たとえば主婦の人が家計簿で毎回、同じ計算するの面倒くさいと感じたら、
Excelでマクロを組む、とかそんな感じでいいと思います。
人間て一回ラクをすると、どんどんラクしたいと思う生き物なので、
そこからどんどん勉強していけばいい、そう思います。
突き詰めるとシステムって人がラクをするためのもので、
プログラマーを含めたシステム屋さんたちって、
そのラクをするために苦労する人たちなんですよね。
日常の仕事でもなんでもいいんですが、ラクしたいな、と思ったら
プログラムという選択肢があるのを知っといてもらえるとうれしいなと思います。
ラクをするために少しくらい苦労してもいいというマインドがあれば、
だれにでもできるように思います。
向き、不向きってあるんでしょうか?
みんなどうやってプログラマーってなってるんだろうか?